BEGINNING

『BEGINNING』は、1978年にRCAで発表された竹内まりやのデビュー・アルバム。
4曲がLA録音だったことで、当時は幸福なデビューと当時言われたそうです。

ただの歌手ではない、シンガー・ソング・ライターとしての竹内まりやのイメージは、このアルバムで作られたと言えます。

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●曲目リスト●

1. グッドバイ・サマーブリーズ
2. 戻っておいで私の時間
3. 夏の恋人
4. 輝くスターリー・ナイト
5. 目覚め(ウェイキング・アップ・アローン)
6. ジャスト・フレンド
7. 突然の贈りもの
8. おかしな二人
9. ムーンライト・ホールド・ミー・タイト
10. サンタモニカ・ハイウェイ
11. すてきなヒットソング

Denim

2007年に発売された『Denim』は、10枚目のソロアルバムです。

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オリジナルアルバムとしては『Bon Appetit!』以来の作品で、その間にもニュース番組への楽曲提供などはあったものの、山下達郎の作品が中心に制作されていたために、完全なる新規のオリジナルアルバムとしては実に5年半ぶりになる作品です!

カヴァーアルバムを発表した2003年以来、音沙汰がなかったのですが、2006年に入り山下達郎自身から「竹内まりやのアルバムを制作している」と言うアナウンスと共に、ものすごく発売を待たれていた1作ですね。

この年の4月6日に山下夫妻はめでたく銀婚式を迎えました。偶然だそうですが、結婚25周年記念の年に発売されたという記念の作品ですね。

オリコンアルバムチャートでは、前作『Longtime Favorites』から引き続き3作連続、通算7作目の1位を獲得しました。52歳2ヶ月での同チャートは1位は、女性ソロアーティストとしては史上最高齢なんです。

ずっと支持され続けている、すごい人です。

18年ぶりのライブ

2000年7月には、約18年ぶりの本格的なライブを東京・大阪で行いました。
ライブ・アルバム『Souvenir~Mariya Takeuchi Live』に収録されています。

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その後もアルバム『Bon Appetit!』(2001年)、カヴァーアルバム『Longtime Favorites』(2003年)などをリリースし、あまりメディアに出ないスタイルを貫きつつも、その抜群の存在感を見せています。

中国では~

90年代初め、中国系の歌手・林羽萍がアルバム『久別重逢』の中で『元気を出して』を『清醒之後』としてカバーしているんです!

中国詞は「王中言」で、作曲者は本来「竹内まりや」とすべきところが「熊天龍」という全く違う名前になっています・・・。
これは、そのままでいいんでしょうか?(^^;

作詞・作曲家

作詞・作曲家としては薬師丸ひろ子の『元気を出して』(1984年、のちに島谷ひとみも2003年に同じ曲を歌ったよ)、広末涼子の『MajiでKoiする5秒前』(1997年)などなど、沢山のヒット作を生み出しているよ!

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育児との両立

その頃は歌手としてはとっくに忘れられた・・・・存在でありながら!なんと最終的には30万枚以上の大ヒットを飛ばした。

以降は育児との両立が大変であり、ライブ活動からは引退したものの、アレンジャー・プロデューサーを行っている夫の援助を受けながら、シンガーソングライターとして活躍を続け、3年間のロングセールスを記述したアルバム『REQUEST』(1987年)や、シングル『駅』(1987年)、シングル『シングル・アゲイン』(1989年)、シングル『告白』(1990年)、シングル『家(うち)に帰ろう(マイ・スイート・ホーム)』(1992年)などのヒット作を発売する。活動的ですね~。

1992年にはアルバム『QUIET LIFE』が発売と共にミリオン・セラーとなり、1994年のベストアルバム『IMPRESSIONS』は売上300万枚を超えちゃう大ヒットを記録する。

山下達郎が大いに驚く

1982年に山下達郎さんが自身のレコード会社ALFA MOONを設立したことから「記念に一枚」のつもりで、1984年にシングル『もう一度』、そして全曲を彼女自身が作詞・作曲したアルバム『VARIETY』を発売!

ちなみに・・・・
このアルバムの構想段階では、以前のように外部作家を起用して作る予定だったのですが、休業中に彼女が書きためたオリジナル曲のクオリティの高さに山下達郎さんがすごーく驚き、結果、全曲を自作曲のアルバムとして発売する事になったんですよ~。
山下達郎さんが驚くというのは・・・かなりのクオリティの高さですよね!

ルックスが災い?

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1981年、彼女のルックスが非常に良いことが災いして
アイドル的な活動を要求されることと自身の希望する
活動とのギャップから一時休業を宣言、その後1982年に山下達郎と結婚。
同時に専業作詞作曲家として活動を開始し、河合奈保子の『けんかをやめて』などのヒットを放つ。

山下さんとの出会い

1078年ごろアレンジャーとして彼女の前に登場したのが、後に公私共に良きパートナーとなる山下達郎である(もっとも、デビュー以前からまりやはシュガーベイブや達郎のライブを見に行っていたと語っており、特に自らのデビューライブ直前に見た達郎のライブには大きなインパクトを受けたという)。

竹内まりやの結婚前の作品は、山下達郎をはじめ、加藤和彦、細野晴臣、告井延隆(センチメンタル・シティ・ロマンス)、大貫妙子、林哲司、伊藤銀次、杉真理、安部恭弘、浜田金吾(濱田金吾)といった錚々たる作家が提供し、作品の質は極めて高い。

中退。

1978年、シングル『戻っておいで・私の時間』、アルバム『BEGINNING』でデビュー。英文科に進んだが、厳しいことで有名な唐須教光のゼミと音楽活動の両立ができなくなり中退。のち、1979年のシングル『SEPTEMBER』、1980年のシングル『不思議なピーチパイ』などがヒットする。デビュー当初は、安井かずみ・加藤和彦夫妻や松本隆などが提供するアイドルソング的な歌を歌わされていたが、これに飽き足らず間もなく自ら作詞・作曲を手がけるようになった。