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2010年05月 アーカイブ

おすすめ その4

田崎草雲が、妻菊子を描いた二枚の絵が興味をひきます。
一枚は、若い日の草雲夫妻が隅田川の畔の料亭で・友人の画人富取芳童酒を飲んでいる絵で、菊子は左手に徳利を持ち、右袖で。元をおさえ笑っている。初々しい若妻の風情です。

もう一枚は「狂妻菊子像」。眉根にしわをよせ、どこを見据えているのか、蕊い眼をしている、鬼気迫る絵である。浅草今戸小町といわれたほどの菊子の、この無残な変ザようを、草雲はどんな気持で描いたのだろうか。

深窓育ちの菊子にとって、草雲との二十年の生活が並々ならぬものであったことを思わずにはいられない。同時に草雲の深い悲しみが伝わってくる気もします。

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おすすめ その5

草雲の悲劇は妻だけではなかったそうです。明治維新を前に、勤王か佐幕か、激しい波嚇各藩を襲った時期、草雲らの説得で、足利藩は勤王方に決定したが、一人息子格太郎は脱藩、上野彰義隊に投じた後、妻の房と心中してしまいます。

母菊子の実家松井家が、代々将軍家出入りの陶商だったことも佐幕派に加わった理由の一つといわれている。
草雲が足利に戻って来たのは一八六一年、四十七歳の時であるが、生まれは江戸神田小川町にあった足利藩邸で、貧しさから幼い頃から御殿勤めをするが、絵の才能が芽生え初めて、金井鳥州、加藤梅翁に師事して画道を習う。

草雲は絵ばかりでなく和歌、俳譜、書を習い、十六歳で千葉道場の門を叩き、剣の修行をしている。
画名を梅渓と改めた頃から花鳥図でめきめきと腕をあげ、「軍鶏の図」は特に称讃されたそうです。
しかし、放浪癖は度を増して来ていて、気性が激しいうえに若さも手伝ったとはいえ、あちこちに武勇伝を残し、あばれ梅渓と呼ばれていたと言う。

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