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2010年10月 アーカイブ

テニス・コーチのためのアドバイス 8

コーチは、自分のレッスンが「常に新鮮であること」に最大限の努力と工夫を、施さなければなりません。


生徒の側からも、臨機応変にレッスンを組み立ててくれるコーチを望んでいるものです。


また、コーチはたんにテニスの技術を教える以外に気を配らなければならないことがあります。


そのひとつは身だしなみです。


生徒はコーチの服装などには大へん敏感です。


これは身だしなみにお金をかけうといっているわけではなく、常に生徒から見られているという意識を持って自分自身で気を配ってほしい、ということです。

薩摩の侵攻

慶長14(1609)年2月、薩軍の動員準備は完了しました。


樺山総大将に平田副将、総勢3000余、軍船100余(1300人に75隻とも)の征討軍という名の侵略軍は、その月21日に鹿児島を出発しました。


3月7日、両将は奄美大島(琉球領)島民を挾み討ちにします。


島民は農具を振り窮して抵抗しましたが、火を吹く銃の敵ではありません。


名瀬・焼内(今の宇検)の住民は降参し、徳之島では300の民が戦死し、21日は沖永良都島が降参、と速度が早く、24日には、樺山らは那覇へ向いました。


しかし、港口は海賊よけの鉄鎖を張り廻して防備が厳しく、逆戻りして北の運天港から上陸ときめました。


時に25日。


一方、奄美の大破壊は飛舟で首里城に速報され、国王尚寧を中心に、摂政具志上、謝名ら三司官や表15人ら、100官が参集し、会議の結果、西来院の僧菊隠を講和使者として薩軍派遣に決定。


3月26日船出します。


その頃、北の今帰仁城は既に炎上していました。


菊隠は尚寧王の降伏を船上で樺山に伝え、諒解を得て牧港に帰り、一路首里城に復命します。


しかし樺山軍は運天港に上陸(4月1日)し、放火と殺鐵を繰り返しつつ南下して首里城にせまりました。


「棒の先から火を吹く」新兵器の恐ろしさは、語り伝えて今も沖縄に残っています。


沖縄ツアーに行く前にこのような歴史を知っておくと、沖縄のことを深く見られるようになるでしょう。


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